【編集後記】より
この本は、坂田さんがあつめた辰澤コレクションをベースに、つくり手でもある竹俣勇壱が収集した合計74点のカトラリーを収録しています。スプーンとナイフとフォークのうち、もっとも数の多いスプーンは、表と裏の両側が見えるように構成している。ケレン味のない淡々としたページネーションも、すべて原寸大なのも、アートディレクターの山口信博による意匠だが、竹俣勇壱がつくり手であることも大きい。
この本には、たとえ古いものでも、使えるように磨いてしまったものは登場しない。価値があるとされている刻印の有無も関係ない。華美で装飾的なカトラリーも排除されている。ただ、美しく経年変化しているか、ということが重要で、ある意味でメタルの宿命をまじめに背負ったものだけが、坂田・辰澤・竹俣の3人によって選びぬかれている。
竹俣さんはふだんは「使えるカトラリー」をつくる彫金師だから、柄の先端を近づいて見せたり、小数点以下の重量まで記録したり、この本でも細かなディテールを問いつづけた。巻末に付した「解説」には海外のさまざまな資料にあたりながら校了直前まで推敲をつづけた数々の発見が綴られている。日本国内には類書はおろか参考書すらほとんど無いなかで、よくぞここまで独力で調べあげたものだと思う。
それぞれのカトラリーの合間には、ブリューゲルやボスやモネたちが描いた「カトラリーの登場する絵画」を継木し、中勘助や伊丹十三やジャック・プレヴェールたちが残したカトラリーの言葉を吹き寄せた。それは幽かでもカトラリーのある風景が立ち上がるようにと願いを込めた、編集者のおまじないです。
研究者、目利き、つくり手と立場の異なる人の手を渡ってきたスプーンたち。このもう使えないスプーンたちが、次の雷鳴の一撃をだれかに落とすことを願って、本書を発行します。
最後に、巻頭に載せた坂田和實さんの言葉を贈ります。
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このコレクションは、これから真摯に工芸の道を歩もうとしている若い人たちに、美しさの基準とは何なのかという大切な問題を考えさせ、又製作上で悩み、迷う人たちをその崖っ淵から救い上げ、多くの人たちに物を作る楽しみや、物を蒐集する喜びを教えてくれることだけは間違いないだろう。
坂田和實
使えないスプーン|竹俣勇壱
編集+発行:櫛田 理
AD:山口信博
デザイン:山口信博+玉井一平
写真:鈴木静華
翻訳:ミヤギフトシ、ベン・デイビス(p208-213)
編集協力:田川いちか
特別協力:辰澤洋子、坂田敏子、赤木明登、吉田昌太郎
印刷製本:TOPPANクロレ株式会社
刊行日:2025年6月1日
発行元:FRAGILE BOOKS