東京で、宮﨑駿監督の最新作「君たちはどう生きるのか」を観てきました。素晴らしい映画でした。(ここから先は、単なる個人的解釈というか感想ですが、ネタバレを含むので、これからご覧になる予定で、まだの方は読まない方がいいと思います)
物理法則によって、この世界の秩序は全て無秩序に向かっています。物質は必ず崩壊します。壮大な山河も、巨大な建築物も、いつかは崩れて無くなります。生きているものは必ず死にます。どんなに立派で、優れた人間も、必ず死んでいきます。宮﨑作品では、いつも終盤に、このことが描かれてます。
主人公の真人(まひと)が、迷い込んだ世界は、ファンタジーの世界ではなく、実は、いまぼくたちが生きているこの世界そのものの実相。真実の世界です。この世界は、危うく、邪悪なもの(全てをスープにして食べ尽くすインコの群)に満ちていて、そして同時に全てが壊れつづけています。その邪悪さと、崩壊から逃げまどっているのが「真人」=「真実の人間」の姿。それでも人間は、そんなギリギリの状況の中で、理想を追い求め、理想の王国を築こうとしてます。それは、積木でできた塔のように、儚いものにすぎませんが、それでもそれを築きつづけるのが、また「真実の人間」の姿でもあります。だから、大叔父さんは、真人に、あの積木を託します。一方、邪悪なものは、その積木さえも壊そうとしますが、かろうじて逃げ切り、未来へ夢を託します。大叔父さんも、真人も、宮﨑自身であり、積木の塔は宮﨑の映画そのものでもあります。そして、それらをつくり出しているのは「母への思慕」。つまり、無秩序に対して秩序をつくり出そうとする力。死を象徴する父性(武器をつくっている)に対して、生を産み出す母性です。そのようにして、人間は「無秩序化が行きついて均衡した状態」つまり「絶対無」に立ち向かっています。それこそが映画であり、藝術であり、そしてそれらよりさらに古く、つくるということの起源である工藝というものの原点でもあります。
赤木明登
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